2015.10.03 Saturday
日本は芋煮会、セビージャはパエリア祭り
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フラメンコ歌手(カンテを歌うカンタオーラ)ナランヒータの
スペインと日本行ったり来たり。 2015.09.24 Thursday
9月はフラメンコ記 まとめ
JUGEMテーマ:音楽
9月はフラメンコ、終了しちゃいました。 2年に一度のビエナルの、間の年にひっそり行われるコンサートシリーズ、 どんな感じなのかと思ったのですが、 まさかここまで 渋渋の重重 だとは思いませんでした。 ビエナルは、基本的にセビージャ外からの人に向けた公演が主です。 ですから、華やかで観光客向きの公演が多くなります。 それに比べて、今回のシリーズはあくまでも地元民がターゲット。 会場の選び方も、 ビエナルでは踊りは広い会場で、カンテはそうでもないのですが、 今回は踊りが狭い場所で、カンテがアルカサルでと言う違いが。 もともとの地元でのカンテとバイレの人気を反映しているんでしょう。 動員的には、トーレ・デ・ドン・フェデリケは全て売り切れ。 アルカサルも広い会場の割にはかなり入っていましたし、 初日と最終日の劇場公演は満員でした。 今回は宣伝活動などもあまりしてなかったようなので、 たぶん、十分黒字になったのではないでしょうか? (ビエナルのように、しばらくしたら収支の発表があるかもしれません。) 内容に関しては、先ほども書いたように、 とにかく渋く大人っぽかったです。 セビージャの人の好みは、 実は、こうなんだってことがはっきりわかりましたね。 カンテに関しては、 ゆっくりしたタンゴがほぼすべての公演で聞けたと思います。 ギターのアレンジもシンプルで、 音数少なく、ゆっくりというのが全体の傾向でしょうか。 ゆっくりしたタンゴのメドレーの中に、 タンゴ・マラゲーニョが必ず出てくるのも共通した特徴だったと思います。 他には、シギリージャ系のセラーナ、ティエント系のマリアーナも、 踊りの公演も含めて随所で聴くことが出来ました。 セラーナ、マリアーナ、タンゴ・マラゲーニョ・・・って、渋! まあ、どれもトリアーナ系の歌ですから、 セビージャのお客さんには確かに受けるでしょう。 ただ、日本からいらっしゃるみなさんには、 私はやっぱりビエナルをお勧めします。 昼間に踊りの公開無料レッスンがあったり、 レストランでワインとカンテを楽しむ会があったり、 総合的にフラメンコを楽しめるように工夫されていますもん。 今年の9月はフラメンコの場合は、地元民がターゲットなので、 昼間は働いている人達ですから、アクティビティもないし、 記念グッズなどのお土産物も一切作られていないんです。 ただ、公演の質だけを比べると、、、、 今年の方が好みの方もいらっしゃるかもしれませんね。 さて、私も、今回の滞在は残り1週間となりました。 本やCDも探したいし、 久々に友人のギタリスト達との合わせもしたいです。 <カンナラ生徒のみなさん> お元気ですか? ちゃんと宿題やってますか? こちらでは踊りバックでセラーナがかなり使われてるみたいなので、 うちの踊りバッククラスでも、セラーナやってみましょうか? シギリージャはもう十分歌えていると思いますので、 ぼちぼちリビアーナだけでもはじめてみましょうよ。 (リビアーナはセラーナとセットで歌われるカンテで、 セラーナよりも難易度が低い。) カンテクラスでは、 ゆっくりしたタンゴを魅力的に歌う練習やってみましょうね。 どうしても速く歌いがちなタンゴですけど、 ゆっくり歌う事で見えることもいろいろありますから。 後は、年末に向けてクリスマスソングかな??? (注:今日の映像はビエナル委員会が発表した総集編です。) 2015.09.23 Wednesday
9月はフラメンコ記 9月20日 "今日はね、カンテがいいんだよ。"
JUGEMテーマ:音楽
9月はフラメンコの最終公演、20日のエバ・ジェルバブエナの公演 <!AY!>に行ってきました。 AYは、日本語にすると、<ああっ> 嘆きや悲しみの言葉です。 地元民でいっぱいのマエストランサ劇場、 今回の9月のフラメンコで、ただ1度だけの大劇場での公演ですね。 ”今日はね、カンテがいいんだよ。” 私の後ろで嬉しそうにそう語っていたのは、 セビージャ訛り丸出しのおばあちゃんです。 今夜のカンテは、なんとこの3人。 <エンリケ・エル・エストレメーニョ エストレマドゥーラのバダホ出身 61歳 踊りバックカンテとしては珍しくCDを4枚もリリースしている。 マヌエラ・カラスコ、クリスチーナ・オヨス、マリオ・マジャ などなどのバックを務める。 <ホセ・バレンシア バルセロナ出身 40歳 6歳でアントニオ・マイレーナカンテコンクール決勝に残り、 天才少年として知られる。アントニオ・カナーレス、ファルキート、 アンドレス・マリンなどなどのバックを務める。 <フアン・ホセ・アマドール セビージャ出身 55歳 パタ・ネグラなどと同じアマドール家の出身。 数多くのタブラオカンテとしても活躍。ファルーコ、マチルデ・コラル、 ファナ・アマジャなどなどのバックを務める。 すごいでしょ? いずれも踊りバックでは定評があるベテラン揃い、 普通はこの3人のうち一人がメインのカンテを担い、 他に若いカンテが1,2人つくものなんですが・・・ 3人揃えちゃいましたよ。 さすが、カンテには思いっきり力を入れるエバです。 今回の演目 AY!では、 フアン・ホセ・アマドールの渋い声が舞台をきゅっと引締め、 ホセ・バレンシアの通る声が劇場を圧倒していたのも素敵だったのですが 特筆すべきはエンリケ・エル・エストレメーニョです。 、、、、、 実は、私がエヴァ・ジェルバブエナとはじめて会ったのは、 今からちょうど20年前、東京は恵比寿でのことでした。 まだほとんど無名で、初来日だったエバの、 その時の踊りバックをつとめていたのもエンリケだったんです。 エバ、エンリケを含め、来日アーティスト達と一緒にご飯を食べよう というイベントに行ったミーハーな私。 お客さんはなんと10人も居なかったなんて、今では考えられないですね。 エバとは共通のバイレの師匠でもあるマリキージャの話しをしたり、 エンリケにはカンテの勉強について質問したり、 一緒に写真も撮りまくって、とっても楽しい一日でした。 当時のエンリケのカンテももちろん素晴らしかったのですが、 今回のエンリケの声!!! 私は本当にびっくりしました。 フラメンコ歌手は50代後半位が人生で一番の花だと言われています。 エンリケは現在61歳。 今がまさしく、彼のカンテ人生の花です! 今回は、今までの聞いた彼のカンテとは別物と言ってもいいほどの 素晴らしさでした。 強さ、つや、巧みさ、独自性、包容力。 すべてが揃うのがこの年頃で、最高の出来の今宵のエンリケのカンテ。 会場からはため息とともに、無数のオレー・・・がこぼれました。 アナ・モラーレスの公演では、 お洒落なアート系おじさま達がバックを固めていましたが、 今回のエバの公演では、力持ちで頼りがいのある、 アンダルシアのお父さん達がどーんと構えていましたね。 ところで肝心の公演内容ですが、、、、 私は世界の踊り手の中で一番 エバ・ジェルバブエナ が好きです。 クラシックバレーも、ジャズダンスも、ヒップホップも、 アニメーションも、なんもかんも含めた中で。 ミハエル・バリシニコフも、マイケル・ジャクソンも、 三浦大地も、最近エグザイルに入った世界君も、 黄帝仙人も、ひとりでできるもんも、エグスプロージョンも、、、 全部全部含めてもエバが1番好きです。 今回の公演では、すべての一瞬一瞬が完全な美でした。 それも、渋い渋ーーーーい、いぶし銀のブロンズ色の重苦しい美。 ビジュアルだけでなく、音との総合芸術としての美でした。 シンプルな舞台装置。 すべてがほぼ色を排除したモノトーンの世界。 休みなくただただその世界を生きるエバ。 以前より、あきらかに鍛え上げられた肉体、45歳。 閉演後、見知らぬおじいちゃまに興奮気味に言われました。 ”すごかったね、よかったね!” ”うん。” 私はうなづくのが精いっぱいでした。 今回の公演、出演者も踊り手1人とカンテ3人とミュージシャンだけですし 舞台装置も限りなくシンプルで小さく、海外公演も問題ないと思います。 このままの姿で、どうかこのままの姿で、 日本でも公演されることを願ってやみません。 日本にいる、ジャンルに係らず、 踊りを愛する、舞台芸術を愛する、すべての方にお勧めします。 (今日の映像は、昨年の公演とインタビューとをまとめたものです。) 2015.09.21 Monday
9月はフラメンコ記 9月18日 薄くなったね。
JUGEMテーマ:音楽
9月はフラメンコ、18日のホセ・デ・ラ・トマサとマノロ・フランコとセビージャバロックオーケストラ公演に行ってきました。 今回もこのまんまのタイトルです、長い。 実はこの公演、昨年のビエナルであっという間にチケットが売り切れ, 大人気だった聖なるフラメンコと題された公演をもとにしたもの。 去年は小さな教会内で行われ、その会場とも相まって、 ものすごく雰囲気のある公演だったらしいんですが・・・ らしい・・・ そうなんです。私も去年チケット買えなかったんですーーーー!!! 去年の5月ごろ、ビエナルの他の公演のチケットが発売になっても、 この公演だけなかなか発売にならず、 私も週に1度くらいはネットをチェックしていたんですが、 8月のある日、ビエナル公式サイトに売り出し日が そっと発表になっていたんです。 それも、私がネットをチェックした当日の発売。 やったあああ、と思ってチケットセンターのページに行ったら、 4回もある公演全部がすでに売り切れ!!! ええええええーーー!!! どう考えても発売から数時間しかたってないのにーーー!!! スペイン人って、こういう時はやけに素早いのよね。 残り少ないと思うと、友達とか親戚の分とか言って、大量買いするから。 もちろん、ホセに頼めばなんとかなったのかもしれませんけど、、、、 きっとホセ自身も色々な人に頼まれて困っているような気がして。 あ、、、ホセ・デ・ラ・トマサは 私がカンテで一番長い間お世話になった先生です。 留学の2年前、1996年、母校に見学と相談に行ったとき、 まだカンテのクラスはありませんでした。 (その次の年も開講されず、結局、私達が一期生です。) でも、今からギターのカンテ伴奏のクラスがあって、 カンテクラスがオープンするときの先生が歌の見本をするからと 教室に案内され、そこで紹介されたのがホセでした。 当時、たぶんホセは50歳くらいだったと思います。 たくましく分厚ーーーい胸板、狭い教室に響き渡りすぎる声。 有名な方ですから、一応お名前は知っていたけど、 目の当たりにするのもはじめてだし、 ましてやギターの初級クラスで歌ってあげているなんて、びっくり。 その後、私のアレグリアスを聞いてくれ、 簡単なレッスンもしてくれました。 ”俺が面倒みる。なにも心配しないで来なさい。” そう胸を叩いてくれて。 まあ、、実際に留学してみると色々ありましたけどね。 ははは・・・ なんだかんだホセには、都合500時間くらいのレッスンを受けています。 実は、ナランヒートよりずっと多くて、たぶん倍くらいでしょうか。 スペイン語もほとんど出来ない私と、カンテを教えるのがはじめてのホセ。 ましてやホセは外国人とかかわったのもはじめて、 とレッスンは混とんを極め・・・ははは。 逆に私は帰国子女で、外資系で外人部隊専門に働いていたので、 全く外人に臆さないし。 それに、俗に言う 都会の今時のはっきりものを言うタイプの女性ですから、 男尊女卑の極みのアンダルシアのそれもヒターノ家で育ったホセとは、 水とあぶ、・・・・ははは。 それに、ホセは音楽知識ゼロ、コンパスも音程も雰囲気、、、、 (くるっているという事ではなく、説明ができないのです。) (今はちゃんと説明しているらしい?) 私はばりばりの絶対音感、 リズムは子供の頃、指揮者をやっていたので鉄壁の理論派。 これもまさしく、水と、、、、ははは。 まあああああああ、、、、、それはそれは大変でしたよ。 間を取り持ったのは、日本での演奏経験も多いギターのポスティーゴ先生。 譜面もバリバリ読めるけど、ヒターノのカンテにも慣れているのです。 彼には本当に感謝でいっぱいでございます。 もちろん、それでもホセは頑張って教えてくれたんですよ。 時とともに、お互いのコミュニケーションもどんどんよくなり、 ホセ独特の教え方に慣れた私は、 どんどん彼のカンテを吸収できるようになりました。 ホセもご機嫌でどんどん教えて、 私が覚えたホセのカンテを聞いてはとっても嬉しそうでした。 それだけに・・・ 私がナランヒートを継いだと知って、ホセはどう思っているのか・・・ 実はまだその話を、ホセとは一度もしていません。 今回の公演に話を戻して・・・ 去年の会場の教会とは違うので、ちょっと雰囲気の面では残念でした。 それに、バロックのオケでホセが歌うんだと思ったら、 オケが1曲インストで演奏し、 ホセがマノロ・フランコのギターで1曲歌う、と交互に。 そういえば、今回、はじめてホセのビダリータを聴きました。 それ以外の曲は全部ホセに習ったことがあったのですが、 ビダリータは、、、当時のレパートリーにあったのかなあ??? もちろん、ホセの声にはぴったりで、とってもロマンチックでしたよ。 ホセもたぶん70歳近いのではないでしょうか。 以前のように、 とどろく声の圧力で押していくカンテはもう出来ないでしょう。 でも、ホセには細くて美しい声があります。 類まれなる編曲能力もあります。 その特技を駆使して、一日でも長く現役で活躍することを、 私はあなたの最初の生徒として、強く強く願ってやみません。 ホセ、、、胸板すっかり薄くなっちゃったのね。 今日はあえて挨拶しないで帰りますね・・・ 2015.09.20 Sunday
9月はフラメンコ記 9月17日つづき おじちゃまのアイドル
昨日のコンサート<ホセ・メネセとアルヘンティーナと ミラグロ・メンヒバル公演>の続きでございます。 最後に登場したのはアルヘンティーナ、 現在のフラメンコ界においてのトップアイドルです。 年齢は30代に入ったくらいなんですが、 ナランヒートの最後の弟子とも呼ばれています。 私の友人のカンタオーラ、ナランヒートの姪でもある チャロ・サンフアンとはクラスメイトだったんですよ。 ウエルバの出身で、地元のファンダンゴ・デ・ウエルバの コンクールの優勝のご褒美として、 母校のカンテクラスの1年間の奨学金をもらってやってきました。 私が最初に留学した当初から、 毎年このファンダンゴ・デ・ウエルバのコンクールの優勝者が、 奨学金をもらってカンテクラスにやってきているのですが、 みんな子供の頃からずっと歌っているだけのことはあって、 のびのあるいい声をしているし、 結構参加者の多いコンクールの優勝者ですから、 音程、滑舌、リズムなどの基本能力はしっかりしています。 (カンテデラスミナスの優勝者へロモもそうです。) チャロ・サンフアンの話しによると、最初のレッスンの時から、 あきらかに他の生徒とは違ってかなりの実力を示していたそう。 先日、チャロとその娘22歳のサンドラと食事をしたのですが、 サンドラが言うには、 ”コアなフラメンコファン以外に、 今、唯一受け入れられている女性のフラメンコ歌手なのよ。 私たちの世代には、カンテはお年寄りのものっていうイメージがあるけど、 アルヘンティーナだけは、そんな垣根を越えて、 若い人たちも普通に車で聞いたりしてるもん。” ”なるほど。特別な存在なのね。” ”うん、フラメンコと若い人たちを繋ぐ唯一の人なの。” ちなみに東洋思想に興味を持つサンドラは、 現在専門学校で鍼灸の勉強中です。 家に鍼のセットがあって、日々自分に刺しているそう・・・汗 (本日の写真、上は1998年のチャロ一家、 真ん中のちびちゃんがサンドラ、そして今のサンドラ) そっか、お年寄りのものっていう垣根を超えて、若者も聴く・・・ ラスボス、小林幸子大先生みたい??? っていうか、私が若い頃の石川さゆりさんみたいなのかも。 もちろん演歌の人なんだけど、演歌に興味のない人でも、 彼女の切ない 津軽海峡冬景色 のファンは多いですもんね。 もちろん、どちらも美人だし。 今回のコンサートでは、アルヘンティーナはどちらかと言うと 伝統的な曲に絞って歌っていたように思います。 最初のホセ・メネセと禁断の曲かぶりをした マリアーナにはちょっとびっくり。 最後はお約束のノーマイクでの御国の歌 ファンダンゴ・デ・ウエルバです。 ふと客席を見回すと・・・ ん???サンドラの話とはちょっと違って、 平均年齢60代くらいのおじちゃまが大半を占めてますよ。 おや?みんなお目目がハートになっていますね。 うん、、、確かに色っぽいですもんね、彼女。 これからも、アルヘンティーナの歌が、 若い人がカンテを聴くきっかけになってくれることを切に祈ります。 ところで、昨日のブログで最初に書いたんですが、 このコンサート、ちょっとへんてこだったんですよね。 普通、カンテのコンサートは年功序列で、 今回の場合はホセ・メネセがとりをつとめるはずなんです。 まあ、最近のアルヘンティーナの人気がすごくって こういう形になったんでしょうけど。 それに、私自身楽しみにしていた、 コンサート最後の出演者全員集合もなかったんです。 ホセ・メネセのブレリアでミラグロが踊り、 アルヘンティーナも歌ったりするのかなあ??? って思ってたんですけどね。 なんとなーく、、、、尻切れトンボなような。 まあ、最後のブレリア大会が時代遅れなのは、 私もわかってはいるんですけどね。 2015.09.19 Saturday
9月はフラメンコ記 9月17日 お祭り野郎が盛り上げるぜ。
JUGEMテーマ:音楽
9月はフラメンコ、17日のホセ・メネセとアルヘンティーナとミラグロ・メンヒバル公演に行ってきました。 会場はアルカサル、もと王宮の庭だったところですから、 広くて雰囲気がありますね。 トーレ・デ・ドン・フェデケと違って、もっと華やかで豪華な雰囲気です。 ところで、 <ホセ・メネセとアルヘンティーナとミラグロ・メンヒバル公演>って、 出演者を並べただけみたいですけど、これがタイトルなんです。 不思議なタイトルだなー・・・って思ったんですけど、 コンサートもこのタイトル通り、ちょっと不思議だったんです。 実際の進行は、このタイトルの順番ではなくて、 まずはベテランフラメンコ歌手 ホセ・メネセの ミニコンサートから始まりました。 ミニコンサートと書きましたが、実際40分間くらいでしょうか? まずはマリアーナ、 当教室でもカンテ中級で取り上げている曲です。 今年、結構よく聴きますね、流行でしょうか? ホセ・メネセは伝統的なカンテを丁寧に歌ってきたカンタオールです。 留学当時のカンテ練習生仲間たちはこぞって彼のコンサートに通い、 CDを買ったものです。 そして、ベテランらしいカンテが続きます、 なんと、いつのまにか70代になられていたんですね。 そして、ミニコンサートの短い時間はあっという間に過ぎて、 さっと引っ込んでしまわれました。 ま、きっと最後に今日の出演者3人で集まって、 一緒にブレリアで盛り上がったりするんでしょうけど。 次に登場したのは、押しも押されぬ大御所バイラオーラ、 ミラグロ・メンヒバル。 ミラグロは長年バタ・デ・コーラ(裾を長くひきずった衣裳)の 踊りで定評があります。 おお、今日も大きい会場に似合う どーんと長いので登場です。 会場内にはいかにも彼女の生徒っていう踊り手さん達が集まっていて、 黄色い声援を送っています。 日本人でも、彼女に教わった人は本当に多いですよね。 特筆すべきは今夜のお供で歌を歌ったお2人。 セビージャの名門タブラオ、ロス・ガジョスで長年ショーを仕切り、 そして、日本のエル・フラメンコでも歌っていた大ベテランの、 マノロ・セビージャとファン・レイナです。 タブラオ専門のこのお二人が こういう大きい会場に出てくることはめったにありません。 長年ミラグロの踊りの教室でも歌ってレッスンを助けている2人を、 きっとミラグロは、晴れ舞台に出してあげたかったのかな? って私は思いました。 オペラ・グラスで見て見たら、ありえないほど緊張した顔の2人が・・・ このお2人、正確に言うとカンタオール(フラメンコ歌手)ではなく、 フェステーロにあたります。 フェステーロって? って思う方も多いかもしれませんね。 日本にはあまり伝わっていない、 失われつつあるフラメンコ古き良き時代の文化のひとつなんですよ。 では、今日はフェステーロについてちょっと書いてみたいと思います。 以前は、タブラオなどで踊りお供の歌を歌うのは フェステーロと決まっていました。 フェステーロは直訳すると <お祭り野郎> って宮川大輔さんみたいですね。 実は、日本で言う、太鼓持ち や 狂言回し がこれにあたります。 うーん、、、最近の若い人は太鼓持ちも狂言回しも知らないですか? ちょこっと説明すると、なにかイベントや集まりの時、 宴会や余興などを仕切る司会をする人で、 場繋ぎにちょっと面白い(すべらない)話しをしたり (これも宮川大輔さんですね)、 ちょこっと歌ったり踊ったり、太鼓などの楽器も演奏して、 場を盛り上げる人のことです。 日本でも温泉場のショーには、今でもこの役割の人がいますよね。 実は、、、銭湯などで行われるお年寄り用のショーが大好きな私。 東京でも麻布十番温泉でたまに見ることが出来ると思います。 話しをフラメンコに戻して・・・ 観光客用の楽しいショーを行うタブラオ。 そこでショーの司会進行、手拍子などの囃子方、 そして踊りバックの歌も歌うのが、フェステーロなんです。 そしてタブラオ以外にも、個人や会社でのパーティやイベントにも呼ばれ、 コミカルな踊りや歌、ちょっとした漫談で盛り上げます。 実はこのフェステーロ、日本でもかなり少数になってしまっているように、 スペインでも、今では失われつつある文化です。 タブラオの踊りお供のカンテも、 場を盛り上げる司会的役割が出来る人よりも、 単純に<カンテが上手な歌手>が選ばれるようになり、 手拍子や掛け声などは、こちらも専門の人(パルメーロ:お手拍子さん)が つくようになりました。 司会進行、手拍子、歌となんでもござれのフェステーロの時代は 終わりつつあるようです。 そうそう、スペインにいらした時、 タブラオに行ったことがある方は、思い出してみてください。 ショーの最初に、お客様いらっしゃい的な口上を言ったり、 最後に出演者の紹介をする歌手はいませんでしたか? 一般のフラメンコ歌手と違って、 立って歌ったりする事が多いのも特徴なんですけど。 実は私、今夜のお1人、マノロ・セビージャが 個人の集まりでフェステーロの仕事をするのを見たことがあります。 フラメンコ芸術学院創設者クリスチーナ・ヘーレンに誘われて行った ロシオの巡礼の旅の途中のキャンプ地でのフエルガでだったんですよ。 ロシオの巡礼の牛やトラクターが泊まる広場の空き地に、 まずはテーブルが並べられ巡礼の典型的な食事が振る舞われました。 その後、テーブルを片付けて、キャンプファイアーが作られたんですが、 その周りに70〜80人は参加者がいたでしょうか? マノロ・セビージャともう1人のフェステーロの2人が、 まるで漫才コンビのように場を盛り上げたのには、 フェステーロのもう一つの顔を始めて見た私もびっくり。 まずはコミカルな歌を歌い、踊りながら登場、 火の回りをくるくる回りながら、お尻ふりふり踊りまわります。 日本で言う どじょうすくい みたいな感じでしょうか。 踊り終わって真ん中に進み出て、2人並んで口上を言ってご挨拶です。 その後は、踊り手さんが踊るときは踊りバックを、 私を含め何人か呼ばれていたフラメンコ歌手が歌う時はハレオをと、 八面六臂の大活躍。 今日の写真は、そのフエルガでの私(16年前)。 フラメンコ歌手は、手拍子をしながら歌ったりはしないんですが、 フェステーロは、手拍子どころか足も使ってパンパンどんどんするんです。 実は、タブラオの初期、女性の踊り手は足を打つ習慣がなく、 優雅に美しく踊るのみだったので、 このフェステーロが代わりに足を打っていたんですよ。 びっくりでしょ? ですので、フラメンコ歌手には男女の差はなく女性もたくさんいるのに、 フェステーロは男性に限られるんですよね。 ついでに言うと、足音を出す必要があったので、 フラメンコ歌手は普通にお洒落な靴を履くのに、 フェステーロは舞台に上がるときは 必ず踊り用の釘がついた靴を履くんです。 フェステーロの文化、私は大好きなので失われて欲しくないですが、 現役の方も、このお2人程のご高齢の方がほんの少しになってしまって。 あら・・・ 今日もずいぶん長くなってしまいましたね。 ではアルヘンティーナちゃんについては、また明日にしたいと思います。 2015.09.18 Friday
9月はフラメンコ記 9月16日 セビージャのおじいちゃまはモデルノがお好き。
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9月はフラメンコ、16日のアンドレス・マリンの公演 Carta Blanca(白い手紙)に行ってきました。 今回の9月はフラメンコシリーズ、初日と最終日は劇場なんですが、 それ以外はずっと野外会場での公演なんです。 以前は、9月に雨が降ることはめったになかったのに、 最近の異常気象で、結構9月に雨になることも多いセビージャ。 ここまで持ったのが奇跡だったのかもしれません。 で、、、とうとう降ってしまったので、 もともとトーレ・デ・ドン・フェデリケで行われる予定のこの公演も、 すぐそばのテアトロ・アラメダに会場を移すこととなりました。 アンドレス・マリンの公演と言うと、 凝った舞台演出が毎回楽しみにされているのですが、、、、 (映像をご参照ください。一緒に踊っているの私じゃないですよ。笑) たぶん、今回も様々な演出が考えられていたに違いありません。 舞台装置もそれ用に作り、 舞台上の動きも、カンテやオーボエなども含めて練習したはずです。 それが、突然会場を替えることになって、 かなり大変だったんでしょうね。 トーレ・デ・ドン・フェデリケ会場は、 観客が舞台を見下ろすように出来ているので、 舞台上になにか道具を置けば、観客からよく見えます。 でも、このテアトロ・アラメダは普通の劇場の形なので、 観客は高い舞台を見上げることに。 なので舞台上に置いてある薄い板状の装置は観客からは全く見えません。 中盤で舞台上に鏡が登場し、その上で踊るシーンがあるんですけど、 残念ながら、鏡だという事は、裏返しにする瞬間に見えるのみ。 これ、、、、どんな効果を生んでいたんでしょうね。 歌いながら舞台を歩き回るカンテ達も、 狭い舞台ではあっという間に舞台端に到着してしまい、 そこで足踏みです。 んーー・・・ アンドレス・マリンは前のビエナルでもかなり前衛的な作品を発表し、 大評判になったのですが、 今回はそれ以上に、というか、遊びの要素をより多く含んだ、 いかにも通好みの作品に仕上がっていたんだと思います。 ご本人も、やぎになったり、鳥になったり、ハエを追い払ったりと大忙し。 音楽的には、 特にドラムとエレキギターとのコンビネーションが素晴らしかったです。 公演初頭では、 カンテと足音とドラムの音量のバランスが悪いように感じたんですが、 音響さんも、あくまでも野外の為に作られた作品が、 急に閉鎖空間に変更になって、それこそ大変だったと思います。 うーん、、、、ごめんなさい、本来の形で見たかったです。 ところで、こんな前衛的な作品なのに、 なぜか観客のほとんどが<おじいちゃま>っていうのは どうしてでしょう??? 日本だったら美術でも前衛的な物は若いお客さんしかこないのに、 (いつも私が最年長) 今回は、私がかなり若い方でした。 やっぱり、スペイン人のアートに関する感覚は 日本人とはちょっと違うのかも。 ちなみに、公演が終わった途端、そんなおじいちゃまたちが全員立ち上がり やんやの喝さいを送っていました。 さすが、スペインは現代アートの国なんですね。 2015.09.17 Thursday
穏やかな日々は静かにやってきて。
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セビージャについて10日ほどが経ちました。 私のスペイン滞在も残り半分と言ったところです。 こちらの友人とちょっと遠くのお総菜屋さんまで行って、 大好きなワイン漬けの鳥の焼いたのを買いました。 今、1人の部屋に戻り、鶏肉をちょこちょこつっついています。 友人も村に帰って、子供たちとお肉をほおばっている頃だと思います。 今まで、何度スペインに来たことでしょう。 20回ではきかないことは確かですが、 何年か前に、数えるのをやめてしまいました。 今回、私は今までのどの滞在の時より、穏やかな気持ちでいます。 もちろん、コンサートでは盛り上がりますし、 道端で懐かしい友人とばったり会えば、きゃっきゃと喜びます。 昨日も近所のカフェで、踊り手のチョロとばったり。 こうして直接会うのは何年ぶりのことでしょう。 お互いしばらく顔を見合わせ、、、 ”マ、、、ヌエラ?” と先に声にしたのはチョロでした。 ”チョリート???” きゃあああああと抱き合い、ほっぺにちゅ。 すっかりおっさんになったチョロ。 始めてあったころは、私が歌うペテネーラが怖いと泣いていたのに。 (今日の映像はそんなチョロ君、踊るとかっこいいでしょ) ”チョロ、仕事どお?” ”うんっ! そっちもよさそうだね。” ”そこそこね。” まあ、セビージャは狭い街ですから、 知り合いに偶然会うのもよくあることで。 こうして毎日ブログを書いていて、 ずっと読んでくださっている方はお気づきかもしれませんが、 実は、ひっそりと10周年を迎えております。 その前も、掲示板のような形で日記を公開していましたけど、 毎日ではなく、スペインにいる間だけ限定でのことした。 時々、文章が長いので読むのが大変と言われてしまいます。 普通、あまりしゃべらない人が文章を書くと長くなるといいますが、 私の場合は、しゃべるのも大量で、、、。 なるべくわかりやすく、説明を加えながら話し、書くので どうしても長くなっちゃうんですぅぅ。 まあ、文章がへたってことなんですけど・・・ 最近は、インスタグラムのような写真とほんの数行の記事が好まれ、 ブログを読む習慣もどんどん失われているようですね。 当時のブログ仲間のほとんどが、もう閉鎖してしまっていますもん。 でも、取りあえず私は、写真1枚では伝わらないフラメンコの大事なことを、 こうして文章にして伝えて行きたいと思っています。 しゃべって録音してネットにあげる方法も試みては見たんですけど、 それはそれで聞く人も大変でしょうし。 という訳で、当分の間は、 この時代遅れのブログを更新し続けることになるでしょう。 ただ、私のブログは日々の日記ではなくて、 あくまでも情報源として存在することを目指しています。 その為にも、できれば中身をもっと分類して、 知りたい情報を探しやすいような目次を作らくては。 ずっと読んでくださっている方、ありがとうございます。 最近読み始めた方、文章が多すぎてごめんなさい。 フラメンコのコツのあたりが、お役にたてば嬉しいです。 さて、レンジで温めた鳥がさめるといけないので、今日はこのへんで。 2015.09.15 Tuesday
9月はフラメンコ記 9月14日 スローなタンゴにしてくれ。
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9月はフラメンコ、14日のカンテのランカピーノ親子の公演 El ayer y el hoy (昨日と今日)に行ってきました。 会場はもうお馴染みの トーレ・デ・ドン・フェデリケ、 小さい会場ですが、チケットは売り切れです。 写真はそんな会場のすぐ横のアラメダ通り。 ランカピーノお父さんは、何度かコンサートに伺っているのですが、 息子さんを生で聞くのが今回が初めて。 さて、どんな声なんでしょう? お父さん譲りなのかしら? あっ、、、はじまるようです。 広い真四角の舞台。 一番奥に椅子が4つほどまっすぐに並んでいて、 まるでバイレ公演のバックアーティスト用のセッティングのよう。 舞台の上はがらーんとしています。 ここでどうやってカンテ公演をするんでしょ? そこへ、ランカピーノ親子が静かに登場です。 おおお、2人ともインカムを付けていますよ。 舞台の前まで歩み出たと思ったら、 2人で交互にトナーを歌い始めました。 息子さんは真面目な顔で渋くトナーを決めているのですが、 お父さん、、、、もう嬉しくてうれしくてって感じで、 トナーなのにずっとにこにこしています。 かわいい息子がカンテを継いでくれ、2人で一緒に晴れ舞台に立つ! フラメンコ歌手にとって、もしかして人生最良の瞬間かもしれませんね。 トナーの後は、それぞれのコンサートへと続きます。 まずは息子さん。 さっきのトナーでも思ったのですが、声はお父さん譲りというより、 強く芯があって艶のある、かなりの美声です。 これは、お父さんもかなり自慢の息子でしょうね。 声がいいお蔭で、細かい音程もすっきりと聞こえてきますし、 なにより滑舌がいいので、歌詞もストレートに響きます。 そして、わかりやすい歌詞ばかり選んでくれるんですよ。 どの歌詞も、往年のフラメンコファンお馴染みのものばかり。 今日のお客さん(お父さんのファン達)に合わせて選んだのかもですね。 そして、どのカンテも私のイメージよりもかなり遅めだったんです。 最初のアレグリアスも、抒情的に聞こえるほどのスピードでしたし、 次のタンゴに至っては、ほぼティエントに近いほど。 今回、彼のカンテで私がやられてしまったのが、この遅ーーいタンゴ。 歌詞が、なんとも切ないのですよ。 ♪マンティージャを付けないでくれ♪ 何度も繰り返されるこの言葉。 マンティージャは当教室のタンギージョの歌詞にも出てくるのですが、 女性が礼装をした時に、頭につける白いベールのような物。 マンティージャをつけるのは、今日が特別な日だからなのか、 それとも、付けている姿が・・・ 歌詞を勝手に解釈するのも無粋なので、このぐらいにしますが、 彼がカンテの席を離れ、 舞台真ん中に出て身を捩りながら何度も繰り返されるこの言葉。 ♪マンティージャを付けないでくれ♪ この言葉が出てくるたびに、 観客もためいきともハレオともつかない声を漏らします。 うううう、、、、わたしも きゅーーーん。 そして、お父さんの登場です。 お父さん、せっかく息子が渋く決めたのに、 出てきた瞬間から へらへらしていますよ。 ”うおーい、今日は歌って欲しいのなんだって歌っちゃうよおお。” ”順番とか、どうでもいいよなー。へへへ。” そんなに嬉しいのかな? 息子と一緒に舞台に立って、息子が大喝采を受けて・・・ あれは、今から14年も前のことです。 私も一度だけ、 ナランヒートに一緒の舞台に立たないかと誘われたことがありました。 日本での仕事をなんとかやっつけ、やっとやっとセビージャに着いた日。 取りあえず学校にいるナランヒートに挨拶に行ったのですが、 ”あー、マヌエラ、よかった、間に合った。 明日の晩、久しぶりに歌うんだけど、一緒に出てくれない?” ”明日の晩?” ”そう、急に決まったんだよね。チャリティコンサートなんだけど、 1人で出るのも寂しいし、生徒を出してもいいって言うから。” ”ナランホー、、、、 私、今朝スペインに着いたの。もう丸2日寝てないの。” ”マヌエラ―、人前で歌うの、本当に久しぶりなんだよ。一緒に出てよ。” ”ナランホ―、、、、、声ぜんぜんでないし、、、 こんな声でナランホの評判悪くなっても困るし。” ”じゃ、取りあえず帰って寝なさい。 で、明日の朝になって、調子が良かったら出るってことで、いいよね?” ”うん、わかった。じゃ、調子がよかったらリハーサルに行くわ。” 残念ながら、翌朝起きた時、私は39度の熱を出していました。 日本でもかなり無理をしていたし、そのまま長時間のフライト、 普通なら途中で一泊するのに、ノンストップでの強行でしたので。 数日寝込んで、やっと元気になった時のことです。 ”マヌエラ、、、、一緒に出たかったよ。” ”ナランホ、、、ごめんね。 次は必ず!!!” ”そうだね、、、、次があればいいけど・・・” 翌年、ナランヒートは亡くなり、 私たちは一度も共演することが出来ませんでした。 声がガラガラでも、 音程がめちゃくちゃでも、 一緒に出てあげればよかった。 嬉しそうに舞台で歌うランカピーノお父さんを見ていたら、 私は涙が止まらなくなってしまいました。
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