マノロ・ソレール、、、
私は彼の生徒だったことが、、、5分間だけあります。
たった5分だけ、いえ、実際はもっと短かったかもしれません。
別に私がなにかした訳じゃないですよ。
マノロが私たち当時のカンテスペシャルコースの生徒全員を拒絶したんです。
今日は、その時のお話しを少し。
カンテスペシャルコースは、今ではなくなってしまったコースで、
大きなコンクールなどを狙っている生徒だけが集められた特殊なクラスでした。
毎年1月から5月までの5ヶ月間だけ開かれ、
クラスメイト達は、その後ビエナル、カンテデラスミナス、コルドバのコンクールなど
重要なコンクールで数多く優勝しました。
カンテの指導はナランヒート・デ・トリアーナとカリスト・サンチェスのみ。
実技の他には、演技のクラス、教授法、音響セッティング方法、など
プロ活動に必要な内容が色々と盛り込まれていたんです。
その後、わずか数年間でこのコースは廃止されたので、
私はこのクラスに選ばれたたった1人の外国人になってしまいました。
そして、マノロ・ソレールのコンパスのクラスも、
2ヶ月間だけですが、このコースに組み込まれていたんです。
初回のコンパスのレッスンの時、私は何か事務所と相談事があって、
5分ほど遅刻して教室に入りました。
教室は普段のカンテ用のではなく、バイレ用の少し大きめの部屋だったんですが、
なぜか中はしーんとしていて、
見ると7人ほどのクラスメイトたちは、なんとなくそのあたりに立っていて、
肝心の先生のマノロは、腕組みをして教室端の椅子に座っていました。
”どうしたの?”
ただならぬ雰囲気にそう聞く私に、答えないクラスメイトたち。
”あ、すみません、ちょっと事務所に呼ばれていたので遅くなりました。”
”君、マヌエラだよね。君もカンテスペシャルコースの生徒だったね。”
”はい、遅れてすみませんでした。でも、、、どうしたんですか?”
”マヌエラ。荷物置いて、そこに座って。”
教室中心にひとつだけ置かれた椅子を指差すマノロ。
”はい? あ、、、ここですね。”
”なんかブレリア歌って。”
”はい?”
クラスメイトたちが小さくうなづきます。
マノロが、いきなりぱんぱんとパルマを叩き始めました。
しかたなく、当時から大好きなソロンゴをブレリアに乗せて歌いだします。
クラスメイト達がハレオで応援してくれるなか、
調子に乗って自作の歌詞で笑いを取ろうとする私に・・・
”もういい!”と履き捨てるようにマノロが言いました。
いきなり、また、しーんとする教室内。
”マヌエラ立って。じゃ、ハビ、君が歌って。”
”はい・・・”とのろのろと立つ私。
”ブレリア踊って!”
”えっ??? あ、、、はい・・・”
ぱんぱんぱん マノロのするどいパルマがブレリアのコンパスを出します。
現在数多くのタブラオなどでも活躍している陽気なハビ。
不安がる私にウインクをすると、楽しげに得意なブレリアを歌いだしました。
私も気持ちを切り替えて、いつものように陽気に踊り始めます。
踊り手のようにではなく、あくまでも歌手として、
軽く面白おかしく踊る私・・・
10秒くらい踊った頃でしょうか・・・
”セ・アカボ!!!(終わった)”と言うと、
マノロはさっさと教室を出て行ってしまったのです。
”え!!! 私なんか悪いことしたの???”
びっくりする私に、クラスメイト達が何があったのかを説明してくれました。
当日、レッスンの開始時間通りに教室にやって来たマノロ。
生徒の顔ぶれを見て
”お前達に、この俺がいったい何を教えるんだよ。勘弁してくれよ。”
とつぶやくと、椅子に座り込んでしまったんだそう。
”マノロ、、、えっと、あなたのコンパスは素晴らしいです。”
”あ、、、、俺は特にブレリアが好きです。”
”先日、劇場であなたのパルマを聞きました。”
生徒達も頑張ったようですが、マノロの顔は曇ったまま。
しばらくして、意を決して立ち上がり、マノロは生徒達にこう言ったんだそう。
”端から順にブレリア歌って、で、隣の人が踊る。短くでいいよ。”
しかたなく生徒達はかわるがわる歌い、かわるがわる踊ったんだそう。
それもわずか数分で終了し、
またマノロが椅子に座ってしまったところで、私が登場したんだそう。
2ヶ月間毎週あるはずのコンパスのクラスに、
肝心のマノロは、この後2度と現れませんでした。
マノロの訃報を聞いたのは、そのわずか1ヵ月後のことです。